春は生まれ変わる
今年は故ありまして、数日に渡って桜を観に行きました。備忘録に記します。
都内: 護国寺
この中で、予想外に美しかったのは、乃木神社の鳥居近くの桜。
何箇所もそれぞれに惚れ惚れするような桜があり、今、咲き揃った風情で迎えてくれました。
そして、今まで存在を知らずにいた地元の氷川神社が、それはそれはもう、絵に書いたように夢のように綺麗でした。
参道も大宮氷川神社に比べたら短いけれど、ちょうどよい感じの距離で、奥の社殿が見えてるのが、私を強くそそりました。凄い吸引力で、行かざるを得なかった感じ。
立派な社殿が陽光に輝き、桜が一番美しい時に人がほとんどいないという、奇跡のようなひとときでした。
私は、時々、そんな状態になることが多いようです。曜日や時間帯にもよるのでしょうが。いつも人が絶えない伊勢神宮や貴船神社などでも、奇跡のように貸切のようになってね… と、そんな時の話をある友達にしたところ、
「佐藤さん、そういうのってね、神社に歓迎されてるんだって。人払いされて、迎えられてるんだそう…」
と、そんな話をされたことを思い出しました。
私は神様の姿も見えないし聞こえないけれど、何となく氣配で感じるものはあるのです。畏れ、感謝しつつ、できるだけごく自然にその場にいる、そこの一部になるような、そんな氣持ちでおります。
有難く… 凄い贈り物を惜しげも無く差し出されたようで、有難すぎて、ほんの少し緊張するのでした。
それから、真冬に訪れたきりだった乗蓮寺の東京大仏は、たぶん一年で一番美しい景色だったと思います。
優しい氣に満ちていて…慈愛とはこういうものかと思ったり。そんな雰囲気の中で心緩ませながら、己の至らなさを素直に反省したり、うっかりすると涙が溢れそうになるのでした。
春は、社会的にも節目であり、ゴールとスタートの覚悟を決める時でもあり、不安定さを感じやすい時なのでしょう。
私は毎年、2月くらいになると不安やモヤモヤが来て、3月には何となく諦めにも似た境地。何かを手放し、新しい自分に生まれ変わることを続けているのです。そう、手放さないと、新しいものは入ってこないから。
もし手放さないものならば、他に何を手放すべきなんだろう。答えは本当は本人が気づいているのですが、選ぶのはいつだって、自分自身なのでした。何かのせい、相手のせい、ではないのです。
ここに至るまでも必然で、いつも私たちは成るべくして成っているのだから…
そんなことをぼんやり思いながら、器の中に小さな魚たちが光を浴びてるのを観ていた、そんな私の春でした。